今から20年近く昔になる。世の中の好景気の波とともにそこには空前のバイクブームがあった。世界グランプリではケニーとフレディの対決に湧き上がり、ローソン、ガードナー、シュワンツらが巨大スポンサーのバックアップの下メーカーの威信をかけ激しく激突していた。そんなGPライダーに憧れた若者が道には溢れ出し、メーカーはそんな彼らを魅了させるレプリカマシンを毎年のようにリリースし、そんなマシンを駆る若者達は峠へと繰り出しコーナーを駆け抜け速さを競い合っていた。そして極度に加熱しすぎたため当局から目をつけられ、1週間のうちたった2時間しか開放されなくなった我々が通い続けていた某峠。そんな中、
SHOGUN 2 は産声をあげた。そのデビューシーンはある意味華々しかったかもしれない。いつもバラバラに走っていた者達の10数名が、その日いきなりまっさらのトレーナーを着て走り出した。しかも当時の最先端の中型車乗りがほとんどでそのうち2,3人はその峠でトップレベルの腕だった。やがてその峠は完全に閉鎖へと追い込まれ我々も活動の場を失いまとまって走ることも無くなっていった。レースの世界にいち早く飛び込み、成功を収めた者もいた。しかし大半は峠に通い詰めるということも無くなった。 |
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